哲学のすすめ
不思議なことに驚く
私たちは〈選ぶ〉ことをよく迫られます。学校の試験では正しい答えを選び、卒業が近づくと就職か進学かを選び、ガイドブックなどを見て自分のやりたいことを選ぶ、というように。でも、そのようにあらかじめ誰かが用意したものの中から何かを〈選ぶ〉ことが〈生きる〉ことでしょうか。
その繰り返しに不安や不満を感じ、〈そもそも〉自分とは何なのかと不思議に思ったことはないでしょうか。
何かに疑問を感じ、不思議の感覚に打たれること(驚くこと)、それが哲学の始まりです。
〈そもそも〉自分とは、人間とは、社会とは、人間関係とは、ことばとは、文化とは何か。
不思議に打たれてほかならぬ自分自身の心が動き、そこから〈そもそも〉を問う思考が動き始める。心が感き、思考が動く。それが哲学です。
みずから哲学すること
哲学を学ぶには哲学書を読む必要があります。哲学書をひとりで読んでいてもなかなか頭に入ってきません???国語の力だけでは解けません。
哲学書には、歴史のなか、哲学者たちの対話において培われた「概念」がたくさん入っていて、そのひとつひとつを理解していないと、何のことについて論じているか、わからなくなるからです。
概念を小ビンに付けられたラベルのように考えてしまうと、概念はイメージでしかなくなり、言葉は呪文のようなものになってしまい、思考は浮草のようにどこかへ漂っていってしまいます。
大学で哲学をするということは、過去の思想を歴史として記憶するのでも、宗教のようにして奥義を伝授してもらうことでも、テクニカルな議論を学習していくことでもありません。多様な哲学的諸概念とその歴史的由来を勉強したあとは、ゼミナールを通じて過去の哲学者たちとの対話の仕方を学びながら、「みずから哲学すること」を身につけていくことなのです。
哲学することなく生きることは
デカルトのことばから
「哲学することなく生きることは、まさに目を閉じたままけっして開こうとしないことです。そして、われわれの視野に捉えられるすべての事物を見る喜びも、哲学によって発見される事物の認識が与える満足に比べれば、まったく問題になりません。そして最後に、この研究は、われわれが目を使って自分の歩みを導くのに必要である以上に、われわれの行動を律し、この人生において自分を導くために必要なのです。」 ( 『哲学原理』 ちくま学芸文庫 山田弘明ほか訳)
専修大学 哲学科の歴史
専修大学文学部は1966年に創立され、そのとき哲学科は「人文学科哲学?人文コース」として開設されました。2010年に人間科学部(心理学科?社会学科)の設置に伴い「文学部哲学科」へと名称変更されることになりましたが、もとより他大学と比較しても、9名の専任教員と10名を超える兼担教員を擁する大規模な編制の哲学科です。優れた研究業績をもつ専任教員による充実した哲学の基礎科目群と同時に、美術論?音楽論?宗教学?精神分析?神話学?記号象徴論?映像演劇論?比較文化論?サブカルチャー論?パフォーマンス論など、現代社会の諸問題にふれる広範な現象についての講義も開かれています。さらには、西洋美術思想の歴史?フェミニズム思想?応用倫理などの科目があり、哲学的思考方法とともに、広大な周辺領域についても学べるようになっています。今後とも教育分野の拡充をめざし、たえず進化していく専修大学文学部哲学科にご期待ください。