専大日語?コラム
専大日語の教員による、月替わりのコラムです。
2018年10月:発話は続くよどこまでも
どこまでも続く発話
まず、次の例を見てください。 『日本語話し言葉コーパス(CSJ)』 から引用した、実際のスピーチを録音して書き起こしたものです。 (F え) はフィラーを、 (D つ) は語断片(語になり切れなかった音声)、 | は0.2秒以上のポーズを、それぞれ表します。
今年に なりましてから | (F え) 徐々に 良く なってきて そのまま 病院には 行っていなかったんですけれども | その (F ま) 家で 何日か 寝ておりまして | で (F あのー) 仕事の 方に 復帰いたしましたら | (F その) 一日 | 復帰いたしましたら その 日の 夕方から また 体調が 凄く 悪く なりまして | (F あの) (F えー) (F まー) 寒気ですとか | (F えー) 発熱が 酷くて | (F ま) また ぶり返したのかなと 思って | (F あのー) 家に 戻って 寝ていたんですが | (F あの) 熱が もう 凄く 久しぶりに 四十度ぐらい 出まして | (F あのー) (D つ) | 家に あった 強い 解熱剤を 飲んでいたんですが | 全く 効かずに | で (F え) 土日だったもので 病院に | 行けませんで | その 強い (D くす) お薬を 飲んでも | (F あの) もう 生まれて 初めての ことなんですが | 熱で もう 眠れずに | (F あの) うわ言とかを もう 言ってしまいまして | もう | もう 暑くてって言うか | 寒気は するんですが 凄く 暑くて | …
この例はちょうど60秒かけて発話されているのですが、驚くべきことに、この間、 一度も「文末」が出てきていません。「~けれども」「~まして」「~んですが」 「~ですが」などの形(「節」)が連続することで、発話全体がどんどん長くなっています。
このように「節」が何重にも連鎖して非常に長い発話が生成される構造を、 ここでは「多重的な節連鎖構造」と呼ぶことにしましょう。 このような構造は、その場で考えながら、 即興的にスピーチをするような状況で多く観察されます。
書き言葉の「だらだら文」
一方、書き言葉には「だらだら文」と呼ばれるものがあります。なかなか文末が現れず、 小中学校の作文教育では「悪文」とされるものです。 以下は、松崎(2016)が挙げている、小学校4年生の児童が書いた「だらだら文」の例です。 これも、上記の例と同様に、「多重的な節連鎖構造」の例と言えるでしょう。
学校の中に入って,弟をさがしてのぞいてみたら,だれもいないので, そうっとはいっていったら,弟のジャンパーがぼうしと一しょにかかっていたので, まだ弟がまだいるなと思って,ろうかに出てまっていたら, 先生とせいとがぞろぞろ先生のうしろからくるのをみて, まだ入学しきをやっていたのだなと思って,もう少しおそくくれば, またずにすんだのにと思って,せいとにくっついてへやの中にはいりました.
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問題は、なぜこのような構造が作られるのか、ということです。 以下では、「実時間的な言語産出」という観点から考えてみましょう。
「話し続けなくちゃ!」という制約
普段は意識しませんが、言葉を産出する(話す、書く)という行為は、「認知的な活動」です。 すなわち、ある一定の時間内にその場で言うべき内容を考え、 適格な言語形式によって表出するという認知的な活動が、 「話す」「書く」という動作の本質です。
特に、「(即興的に)スピーチをする」、「(子どもが)作文をする」という活動において、 多重的な節連鎖構造が発生することには、次の2点が関わっていると考えられます。
- 日本語の文法的な特性として、発話を無限に後方に連鎖することができること
- 実時間内に、一連のエピソードをつなげて言語化し、産出し続けなければならないこと
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1点目は、日本語の文法に関する特性です。 「~けれども」「~まして」「~ですが」などの形は、 連用節(副詞節とも)、または並列節と呼ばれ、 それまでの発話を次の発話につなぐ(連鎖させる)働きを持ちます。 この特性を再帰的に用いることによって、原理的には、「無限に続く長い発話」を作ることができます。
2点目は、「スピーチをする」という行動そのものが持つ心理的な制約です。 特に、あるエピソードをその場で思い出しながら語るような状況では、 一連の出来事を次から次へと言語化していくことになります。 しかも、聞き手が聞いている前で、即興的に話をし続けなければなりません。 「話し続けなくちゃ!」という制約(心的負荷)が、 発話が延々と続いていく節連鎖構造を生じさせていると考えられます。
頭の中で言うべきことを次々に考え、言語形式を組み立てながら話し続ける心理的処理、 すなわち「実時間的な言語産出」という高度に認知的な活動の過程が、 日本語の文法的特性によってそのまま表に現れた形として、 長大な節連鎖構造が観察されるわけです。
小中学生の作文に見られる「だらだら文」も、基本的に同じ原理で説明できるでしょう。 頭の中でエピソードを思い出しながら、それを一続きの作文としてそのまま言語表現化した結果、 多重的な節連鎖構造が生じたと解釈できます。 作文教育の中では、短い文と接続詞で文章を構成するよう、指導を受けることになるでしょう。
歴史を振り返ると…
先に「だらだら文」を「悪文とされる」と書きましたが、古典の中では、多重的な節連鎖構造が多く見られます。 以下は、『源氏物語』「桐壺」の冒頭にある1文です。
(『源氏物語』桐壺)
また、次に示すのは、明治41年の新聞記事です。ここでも、多重的な節連鎖構造が生じています。
(報知新聞、明治41年9月25日 → 画像)
古典では、というよりもつい最近まで、「だらだら文」はむしろ通常の書き言葉だったわけです。 小松(2012)は、「句節をつぎつぎと継ぎ足して構成される形」を「連接構文」と名付け、 それが和文の構成原理だと提唱しています。極めて興味深い主張だと思います。 「だらだら文」が悪文とされ、短文と接続詞で表現するよう指導され始めたのがいつ頃なのか、 これは国語科教育の歴史を調べる必要があるでしょう。
以上、「どこまでも続く発話」や「だらだら文」の発生原理と歴史について、簡単にたどってみました。 さまざまな話し言葉コーパスや書き言葉コーパスが充実してきた現在、 そこからどのような現象を拾い出してどのように分析するのか、その一例として、参考になれば幸いです。 より詳しく知りたい場合は、このコラムのもとになった下記の参考文献、3. 4. を参照してください。
さて、4年生のみなさん、卒業まであと半年ですね。残された時間、ぜひ有意義に過ごしてください。
おっと、その前に、卒業論文の提出まで、あと2か月半(12月17日(月)17:00厳守!)。
みなさんの健闘を期待しています。
<参考文献>
- 小松英雄 (2012) 『仮名文の構文原理 [増補版]』笠間書院. [OPAC]
- 松崎史周 (2016) 「国語教育における「だらだら文」の捉え方と扱い」『日本女子体育大学紀要』46号、pp.111-121. [PDF]
- 丸山岳彦 (2014) 「現代日本語の多重的な節連鎖構造について ―CSJとBCCWJを用いた分析」石黒圭?橋本行洋編『話し言葉と書き言葉の接点』, 93-114. ひつじ書房. [link] / [OPAC]
- Maruyama, Takehiko, Stephen W. Horn, Kerri L. Russell and Bjarke Frellesvig (2017) ``On the Multiple Clause Linkage Structure of Japanese: A Corpus-based Study'', New Steps in Japanese Studies, 131-154. Edizioni Ca' Foscari. [link] / [PDF]